設立趣旨
山田育英会は、1957年(昭和32年)にダイキン工業株式会社の創立者山田晁によって設立されました。
日本が戦災から立ち直り、ようやく高度成長の道筋が見えてきた時代です。その設立趣意書には、経済復興と教育にかける熱い思いが語られています。
※以下設立趣意書より一部抜粋。
社会文化の興隆は一にかかって、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を目的とする教育にまつことはいうまでもないところである。
ひるがえって我国現下の教育をみるに戦後における経済の混乱と、これに伴う世潮の急変は、十年に余る歳月を経過したる今日においても未だ一般国民をして必ずしも当面の経済生活に余裕を与えるのいとまなくひいてはその有為の子弟をして最高学府に進めしむることを容易ならしめず、ために前途ある幾多の青年をして、修学の希望を中断し、あるいはその去就に迷うのやむなきにいたらしめる状況である。
設立代表者山田晁はダイキン工業株式会社を創業以来、いささか斯業の発展に尽力し終戦後も幾多経済界の変動を克服して業界の再建に着手し、会社を挙げてひたすら復興に努め、その業績を遂次順調に推移せしめ、今日にいたったものであるが、これはもとより、ひとえに社会各層の恩沢によるところであり、また会社従業員の不屈の努力精神に負うところも少くないのである。
このために年来、ひそかに奨学金制度の創設を念願していたものであったが一は社会各層の恩沢に報いるため、全国より俊秀学生を選抜して人材を養成し、 ――中略―― ここに財団法人山田育英会を設立して微力ながら社会文化進展の一助としたい所存である。
昭和参拾弐年弐月拾壱日
財団法人山田育英会
設立代表者 山田晁
山田晁は1884年(明治17年)山口県に生まれ、1924年(大正13年)に合資会社大阪金属工業所を設立。
その後、幾多の困難を乗り越えて事業の発展に尽力し、今日のダイキン工業株式会社の礎を築きました。山田育英会は、まだ戦争の記憶もさめやらない時代に、社会の発展にとって人材育成の持つ役割を痛感し、山田晁が私財を投じて設立したものです。
山田育英会は設立以来50年以上にわたり、毎年、有為な人材を社会に送り出してきた実績が認められ、この度、内閣府より公益認定を受け、2013年(平成25年)4月1日をもって「公益財団法人山田育英会」として新たなスタートを切ることとなりました。
今後は、設立代表者山田晁の思いを尊重し、かつ、公益財団法人としての責務を全うするため、事業内容を改新し、広く国内外の学生に対して育英奨学事業を行うことといたしました。これからも、社会発展に寄与する人材の育成に微力ながら貢献してまいります。